「他人を尊重する」という落とし穴

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「他人を尊重する」という言葉があります。
この言葉はつまり「他の人の価値観や考え方をふくめてその人自身を排斥せず、
すべての人に敬意と思いやりを持とう!」というものだと思います。

以前、その言葉に沿って他人を尊重することを実践してみました。
「どんな人でも尊重しなきゃ」と思うと、
私は落とし穴にハマってしまいました。

ある日、
自分の中ではものすごくマイナスな価値観による言動を聞いたとき、
「私の中にある他の豊かな思考と同等に認めてあげなきゃならない」と
とても苦しかったことがあります。

自分の価値観の中ではそれよりも豊かなものがたくさんあるのに、
排斥せず、認め、同列に並べ心と身体に同居させること。
それを試みると、
「だったら自分が大切にしていた心や価値観ってなんなんだろう」と
自分がぐらつくような、自分が自分でなくなるような。

かと言って、苦しいと感じるということは他の人を尊重できてないんじゃないか=道徳に反するというジレンマで、
私の価値観の中で豊かだと思うものと、全く反するものを同居させなきゃいけない選択をとるしかありませんでした。

その苦しさの原因は、
「自分の心と身体の中に同居させてしまったこと」が原因でした。

その解決策として、
そもそも他人のあらゆる価値観は
「存在していていい」
というくらいライトなもので、自分の中に入れなくていいものだと気付きました。

心や身体の中に入れるのではなく、目の前のテーブルの上に置いておく感じ。
そうすれば、心や身体の中に入れることによる
自分の中の価値観ぐらつきを味わうことなくその価値観を見られる。

どういう気持ちなんだろう?と思ったらちょっと味見してみて
「この人はこういう気持ちなのかなあ」と感じてみたり。

その価値観いいなあと思ったら、そこで初めて心や身体の中に入れる。

私は私の豊かさで良い。
他の人の考えや価値観は「存在していていい」。
柔軟に「こういう気持ちなのかな」と味見をしたり、
良いなと思ったら吸収したり。

他人を排斥するのも、他人をすべて取り入れるのもとてもパワーの要ること。
確かな自分と「存在していていい」という果てしない愛と、柔軟さ。
それは反対に、自分がどんな価値観を持っていても「存在していていい」という自己肯定感にもなるかもしれない。

それらを大切に生きていきたいなと思います。

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