ある日、気付きました。
「私、この人に大切にされてないぞ」と。
大切にしてきたつもりのその人を大切にしていないから適当な対応をされているのかな、
と考えました。
もしそうなら、自分が人を大切にする方法として大切にしてきたものがすべて揺らぐことになる。
私はこれまで「だれかに大切にされたい!」というはっきりとした理由で行動したことは無く、
その人自身を認めることや配慮することなどの「人を大切にすること」につとめてきました。
良いと思ってやってきたことが実は人に迷惑や嫌な思いをさせてきたことになる。
もちろんそういう可能性があることは日々謙虚に考えてきたつもりなので、
それも「やったつもり」になっていて独りよがりだったのかと、
大切にされていないことそれ自体とダブルで落ち込みそうになる。
考えて、考えて、客観的にあらゆることを持ち出して、考えてみた。
相手を大切にしていない訳ではない。
自分が大切にされなかったものの正体は
「自分を大切にしていないから」でした。
他人のためならと、ちょっと自分を犠牲にしちゃう皆様へ。
それはとっても素晴らしいことだけど、人を大切にするようにまずは自分を大切にしてみてね。
そうしたら、もっと良い関係になれるかも。
それはなぜなのか、どうすればいいのか。
他人を大切にしている前提でお話しをしてみます。
「自分ファースト」を思い出す
自分ファースト。
つまり、人との関係で自分が犠牲にならず、心地良い状態はどのようなものかを思い出してみてください。
いままでいろんな人々と関わって、心地良いな・良くないなというものがたくさんあったかと思います。
「ポジティブなことをたくさん話す人がいいな」
「ネガティブなパワーが原動力だからネガティブで意気投合したいな」
「約束をちゃんと守ってくれる人がいいな」
「ルーズなくらいが肩肘張らずちょうどいいな」
などなど。千差万別でたくさんあるだろうと思います。
すべて思い出す必要は無いかと思います。
そのときの「心地良いな」、「心地良くないな」という感情と
「自分は他人にされたら良いこと・良くないことはこういう感じなのかな」という傾向を
なんとなく覚えていていただきたいです。
そうすると、他人からされた言動によって
「心地良いな」と思うことは自分が喜んでいる状態で、
反対に「心地良くないな」と思うことは、あまり自分が喜んではいない状態だということに気付くことができるかと思います。
私は自分が何をされたら心地良くないのかを気付かず無理をし続けた経験があります。
なんとなくモヤモヤはしていたけど、相手の都合もあるしなあと
嫌な思いにフタをして「他人ファースト」を実践していました。
だんだんそれが積み重なり、かなりの無理をして限界に達し、
そこでやっと自分の心地良い状態を思い出す作業の必要性を感じて
「自分ファースト」に切り替えられて上記に気付くことができました。
はじめから「自分ファースト」を考えられていれば、極端に辛い思いをせずとも
うまく関係を築け、コミュニケーションも取れていたんだろうなと思います。
やってほしいことを上手に伝える
「本当はこうしてほしいのにな」と思っても、
お互い様だしと思ったり、言わないほうが良い関係が保てると考えて我慢したりする。
一見円滑な関係に見えるけれど、やっぱり「我慢」なので無理をしていることになっちゃいます。
同じ事象でも全然OK!な人と、苦手だなあと感じる人も居て、
人によって、その時の状況によって得手不得手があるのかなと思います。
人と人はきっと「この人はこれが苦手(得意)なんだな」というものを
互いに感じ取りながら関係を築いたり、コミュニケーションを取っているのだろうと思います。
つまり、苦手なことを要求されてそのままにしておくと
「これでいいんだ」と思われ、継続的に苦手なことを要求されてしまいます。
自分が相手との関係の中で心地良い状態を保つことは、イコール、自分が大切にされる状態を要求すること。
それが大事なのではないかなと思います。
そんな要求をしたらワガママだと思われたり、気を悪くされちゃうのではないかと思うかもしれません。
その心配は「伝え方」で解消すると思うのです。
相手のことも配慮した優しい伝え方。
「勝手なことで申し訳ないのだけど、実は〇〇が苦手なんだよね。なので△△だと助かるのだけど、どうかな」や、
雑談の中で一般論や第三者の事象として「こういうの苦手なんだよね」とそれとなく伝えてみたり、
状況や事象に応じたいろんな伝え方があるかと思います。
自分が我慢してまで他人のことを考えるほどの優しいあなたならできるはず。
苦手なものを逸らして、誘導する
前述の「やってほしいこと」が伝えられないな、というときはやはりあると思います。
例えば「(悪口などの)ネガティブばかりを聴かされるのが苦手だなあ」というとき。
会話の中でさりげなくポジティブに変換したり、誘導する。
前述したとおり、人と人は互いに感じ取りながら関係を築いたり影響し合うので、
そのうちこの話題を避けてくれたり、もしくは感化されて相手が変わっていくかもしれません。
そうではなくとも、柔らかい盾によって苦手なものに直接触れる機会が減るので、少し気が楽になります。
自分のために悪口を言わない
これは相手を大切にしていようとも、一気に信用を失って人から大切にされなくなるような気がしています。
また、その場に居ない身近な人の悪口ばかりを言うと
「こんなに悪口を言う人だから、この人は私が居ないところで私の悪口を言っているのかな」と
疑心暗鬼になって、信用が低くなるかもしれません。
もちろん言いたくなるときもあるでしょうから、
悪口の対象人物の状況や、伝えたい人、自分の非、ということに配慮しながら
お話しするのが個人的には心地良いかなと思います。
自分のために、というのは
「悪口を生み出してしまうアラ探しの思考回路」と「モヤモヤな言葉」を身体に入れるストレスから解放すること。
そもそも悪口を生み出さないためには他人を尊重すること。
精神衛生的に良いのではないかなと思っています。
自分の手入れや労ることを怠らない
たっぷり睡眠をすること、美味しいものを食べること、
ゆっくりお風呂に入ること、好きなことをすること、
やさしくゆっくりとスキンケアやボディケアをすること、
よく頑張ったなあと褒めること、
自分の手入れ方法はたくさんあると思います。
それを、ゆっくりと慈しむように丁寧に。
自分を大切にすることで「自分は大切にして(されて)良い存在なのだなあ!」と自覚でき、
①~⑤のハードルも低くなるように思います。
そしてそういう自分軸がある人に対して、尊敬の念からか、雑にしてはいけない雰囲気というか、
なんとなくですが「大切にしなきゃな」と感じます。
また、自分の心地良い状態が保て、
新たな自分の心地良い状態に気付くキッカケにもなり、
さらに生きやすくなっていくのではないかと思います。
以上が自分を大切にすることで他人にも大切にされる方法かなと考えます。
最後に
「そんなことできないよ」と思うかもしれません。
自分を大切に思えないし、伝える勇気もない、と。
そのときは、もう一人の自分を作ってみてください。
他人のことを思い遣って声をかけるときと同じように自分に声をかけてみてください。
自然と「自分ファースト」の声かけになっていると思います。
そしてこれらは他人のためにもなるんじゃないかなと思います。
自分の言動によって我慢していたり無理をされていたら、嫌だなって思いますよね。
言ってくれれば良いのに、と。
そして、無理をしない人はゆるやかな雰囲気に包まれているような気がしてます。
他人の感情は表情や言葉の端々などのあらゆる情報にて伝わってきたりしますよね。
ゆるやかな良い雰囲気がまわりにも伝播して良い影響を与えていると思うんです。
ただ、もしそれらを行っても、相手との関係の中で自分に無理な状態が続くようならば距離をとる勇気も持ってみてくださいね。
まずは自分を大切に。無理なくいきましょうね。
お読みいただきありがとうございました。
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