人それぞれの「つらさ」の物差し

未分類

人それぞれの物差しがあると思っています。

同じ事象が起きたとして、
「大変さ」、「つらさ」などのネガティブな気持ちが占める割合は人それぞれ。
「楽しい」ことなどのポジティブな気持ちもそう。

「事象A」が2人の人に起きたとして、
1人にとってはものすごくつらいことで、
その人の生活の中でも「つらさ」が占める割合がとても大きい。
反対に、もう1人にとってはどうってことなかったりする。

それは、2人の得手不得手、そのときの体調や環境、状況、経験等によって
感じ方やその人の中での割合はだいぶ変わる。
「事象A」をどう感じるか、捉えるかはひとりひとり違うのだと思います。

なので、自分の物差しでは決して測れないものであると同時に、
測ってはいけないものだなあと感じています。
つまり「同じことを経験したけど、私はどうってことなかったよ」とは決して言えないものとも言えます。

そして、人それぞれの物差しがあるからこそ、自分の「つらさ」は我慢しなくていい。
「あの人のほうが大変そうだけら」
「みんな我慢しているから私も我慢しなきゃ」
「打ち明けて軽くあしらわれたらどうしよう」
こんな気持ちを抱えて閉口したり、我慢している方も多いと思います。

でも、我慢しなくていい。
あなたがつらさを抱えているなら、助けてって言ってみて。つらさから離れてみて。

もしそれが少し怖いなら、謙虚な言葉を前置きすれば言いやすいと思います。
「みんなも大変だって分かっているんだけど… 」
「私にとってはとてもつらくて… 」
他の人のこともそうやって気遣えるあなたなら、すらすら出てくるはず。

それでも言いづらいな、自分に対してつらさから離れる許可を出せないなと思ったら。
自分の大切な人が同じような気持ちで「つらさ」を我慢していると想像してみてください。
「我慢してほしくない!」と私は思います。

他の人が「大変だ」「つらい」と話すことは自分の物差しでは考えない。
一通りの話を聴くなかで、その人の物差しでどのくらいの割合を占めているのかを
想像したり、共感したりすることが大切だなあと思っています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました