悲しみに暮れそうになったとき、
負の感情に振り切れそうになったとき。
この言葉をいただいた。
「淡々、粛々と行きましょう」と。
私には今までその選択肢がありませんでした。
嫌なものは嫌。嬉しいものは嬉しい。苦しいものは苦しい。
そのときの感情で心を満たして日々を過ごしていました。
それで元気があるかないかが決まるようなイメージです。
感情や感受性が豊かな反面、ポジティブな状況のときは良いのですが、ネガティブな状況のときはそれを区切りなく持ち続けるので日常生活を過ごすのもひと苦労でした。
でも対外的にも内側もひたすら穏やかでいたいので、無理矢理ポジティブなもので塗り潰そうフタをしようとしました。
もちろん無理をしていることになります。
無理に作り出したポジティブな感情と、動き続けるネガティブな感情は交わることはなかったのです。
「淡々、粛々と」。
そんな私には、これは良い中間地点でした。
無理矢理フタをするでもない、心を殺すのでもない、自らニュートラルを選ぶ。
くすぶっているものをスッと沈静化するような感じです。
そして、ブレーキも擦り減らないし、燃料も節約でき、エコに生活できる。
心の中にいままであったモヤモヤしたものや、外部の嫌なものが自然と入って来ず、決して断絶ではない良い感じの盾があるような感じです。
その状態で物事に取り組むとどうなるか。
心をニュートラルに入れることができるので物事ははかどる。
そして、やりきったことが自信になって、元気が出てくる。
嫌なことを気にせず生活できた自信とでも言うのでしょうか。
そのうちに、その自信からの元気や、新たな嬉しいことが舞い込んできたりして心の泉が満ちてきました。
私を守り、快方へ向かうための大事な中間地点「淡々、粛々と」。
もちろん、淡々粛々ばかりの生活になるのは避けたい。
自分が喜ぶ場所を積極的に選んで、中間地点にいたほうが良い場面を自ら選び、良い方向に向かって、だんだんと感受性の豊かさを戻していく。
そんな成功体験が豊かな人生の質を更に高めて行くような気がしたのでした。
「淡々、粛々と」
心が乱されそうなときに唱える言葉。
今や私にとって御守りのような言葉になっています。
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