「続けることよりも、辞めることのほうが難しい」
震災を契機に廃業を決意した方がテレビのインタビューで話した言葉。
それが心にシンと響いてきました。
続けることが苦しいという前提でお話しをすると、
「続ける」ということは、大変なことを苦しみ続ける、発展もなくマイナスの現状維持でずっと生きていくことになる。
「辞める」ということは、続けることによる苦しみから解放されたり、可能性という明るい未来へ踏み出す一歩になる。
一見すると「続ける」ことのほうが難しく思えていました。
でも、思い返してみると確かに「辞める」ことのほうが難しいかもしれない。
私のこれまでの人生は、続けることを辞めるという選択を多く繰り返してきました。
恥ずかしながらというか、そのぶん危険を回避できたり多くの経験ができているというか。
本心としては後者なのですが、世間の目を気にするとどうしても前者の気持ちになります。
これまでは続けている最中に、続けるか辞めるかを天秤にかけてきました。
そして「辞める」を選択したあとは後戻りができないので、
「続けなくて良かった」という自分を納得させるための材料を見つけ出して、たくさん整理をします。
なので、辞めた後にフラットな心で天秤にかけるという作業を行ったことがありませんでした。
言われてみれば確かに、辞めることのほうが難しい。
「難しい」という言葉より「ものすごくパワーが要る」という表現のほうが近いかもしれないです。
続けていると、いつの間にか積み重なって構造や居場所ができています。
順調なときも、苦しいときも、構造のおかげで受動的に動く部分があったり、人や世間と安定して繋がれているという安心感もあります。
どんなに苦しくとも続けていると修正が効いたりする場合もあったりします。
構造の中で培った信頼や人とのつながりで「この構造の中で修正するならばどうするか」という力添えをくださる方もとても多いです。
でも「辞める」という選択をしなければいけない場合もあります。
続けても修正が効かないと気付いたとき。
大きい何かのせいでどうしても見通しが立たないとき。
なんか飽きたな、というとき。
どうしても逃げたいとき。
命より大事なものなんてないと気付いたとき。
解放されたいと思ったとき。
自分には無限の可能性があるんだという光を見たとき。
色々あると思います。
辞めると、解放感があります。自分は何にでもなれると思ったりもします。
半面、それは自分は何でもなくて、大海原に放り出されているという不安感との闘いだったりします。
大なり小なり、いままで一生懸命築いてきた構造を外すことになります。
後々にその構造を築いた経験は輝きを見せるのですが、
その構造にいたことによって得られていた人とのつながり、収入、肩書、受動的に動く部分を一旦外すことになります。
そこに「後戻りもできませんよ」という崖も作られます。
辞めることによって、続けてきたときとは違うルーティーンや言葉によって様々なものに対応しなければならなかったりします。
本当に自分には可能性があるんだろうか、
ちゃんと次が見つかるんだろうか、
家族が心配するだろうな、
世間からはどう映るんだろう、続けられなかった自分が情けないな
逃げてしまったな、みんなはできているのに苦しいものから離れてしまったな、自分ってなんなんだろうなという
実際にまわりから言われることもありますがそれは稀だったりして、自分が作り出した周りの声にさいなまれることが多々あります。
大切なモノや人のために血反吐を吐くような続けるという選択をすることも知っているので、身軽な自分が憎いという気持ちになったりもします。
そして、お金の不安というのは結構心を削いできます。
それほどにお金というものに執着し、豊かさの定義の中に入れていたのかと思い知らされます。
構造や安定という船をなくした大海原で、世間と自分から冷たい波を受けている気分になります。
でも、どうにかなったりもします。
自己というイカダといままで培ってきた航海術があります。
航海術がなくとも、やりながら学んで辿り着いたり、自然とどこかに流れ着いたりします。
空を見上げると太陽もあって、目指したい星も見えています。
良い風も吹いてくるときもあります。
通りがかった船に助けられることもあります。
SOSを出せば身近な人が助けてくれます。
不安を感じたり落ち込んだりするのもとても大事だと思っています。
生きる上でのリスクを感じ取っているからです。
そして、そこからはその不安を冷静に見つめる。
そのうえでこの不安を解消するためには何ができるかを考えます。
不安だと嘆くばかりで過ぎていく時間ももちろん大切な時間。
だけどやっぱりそればかりだと辛いので、不安を解消していくことが自分にとっても大切なのかなと思います。
「この不安はお金の不安からくるのか」と思ったら、お金を稼げる手段を探すことに注力したり、
お金で不安にならないような生活の見直しや豊かさの意識改革ができます。
「この不安はストレスからきている」と思ったら、たくさん休んで思い切り自分を癒して甘やかします。
「この不安は次のやりたいことが見つからならいことからくる」ならば、
見つけ出すだめにスマホを開く、紙に言葉を一つだけ書いてみるから始めると、どんどん繋がっていったりします。
自分で自分の不安を解消したことは、とてつもない成功体験だと思っています。
不安を嘆いて何もしない時間よりも何か動いていたほうが、
不安解消の糸口を見つけ出せたり、動いていると不安を感じなかったりと単純にメリットがあるなと気付くのです。
同じ時間で同じ状況でも、軽やかな気持ちで何らかの行動をしていたほうがいいかもなと思ったりします。
この大海原を泳いだ経験は自分を信じる力を強め、何があっても「なんとかなるでしょ」と思える強さに変換されると思っています。
そして、続けていたことを辞めて新しいことを見つけてスタートすると、やはり初めてのことだから何かと大変だったりしますよね。
辞めるとこんな風にプラスの面ですらたくさんのパワーが要ります。
だから、大変。
でも、選択肢のどちらかにパワーや苦しみの偏りがあろうとも、
信じている自分が選んだ道を一番に支持してあげられるのは自分なんじゃないかなと思っています。
そして信じてくれる大切な家族や友人、パートナーがいれば本当に素敵なことだと思います。
支持するときには、まわりへの配慮や謙虚さももちろん忘れずに持っていたいけれど、
一番はなによりも自分。その思いがいつか自分を助けることになります。
もし、続けるか辞めるかの選択を持っている方がこの投稿を読んでいただけているのなら。
なにかの契機のひとつになっていれば嬉しいなと思いますし、
自分を信じ、大切にしてほしいと一番にお伝えしたいと思います。
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