私の中の「正義」というものを軸に生活していたことがあります。
私のあらゆる「正義」の中には「他の人のことも尊重する」というものも入っていました。
なので、他人の正義も尊重しなきゃと思いながら生活すると、私が大切にしていた正義と真逆のものも大切にしなければならず、自分の中の確たる大切なものが薄まり、自分が失われていくような感覚に陥りました。
それに対応するために自分の正義の正しさを証明し守るために、他人の正義を排斥することは簡単ですが、
そうすると、独りよがりで想像力に乏しく、知らぬ間に人を傷付けてしまうような人になってしまいそうな気がしました。
人にはそれぞれの正義があり、時代や立場、人によってその正義は正義でなくなるものだと思います。
言葉自体の力も強くて、大切にするものを「正義」と銘打つとブレない反面、私が大切にしていきたい他人を尊重する柔軟性にも乏しくなっていくような気持ちにもなりました。
そこで、言葉を置き換えることにしました。
「豊かな心」というものを軸に生活をすることにしました。
メリットがたくさんありました。
まず、軸がはっきりしていました。
正義というものは簡単に変わりますが「豊かな心」と「貧しい心」というものは分けやすかったです。
そして、豊かな心は柔軟性が高いので、貧しい心を排斥することもありませんでした。
人を広く認めることができ、自分のことも認めることができました。
また、豊かさ基準で考えると、とっても広いんです。
あらゆる人が大切にしたり、正義としている範囲のものがひろく包括されているような気がします(もちろん他の人が正義と思うことの中には、私基準では豊かでないことももちろんあります)。
さらに、正義と正義でぶつかることもありません。
他人はあるがままで尊いので、他人の価値観を細かくジャッジすることによる苦しさも感じることが無く、程よい距離感ができてとても楽です。
こんなにちょうど良い言葉があったんだなあと、ほっとしました。
「豊かな心」で考える。
生きることがまたスッと軽くなったような気がしています。
コメント